| 狂信的言動 |
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狂信的言動
実は、そうした「異業種交流」が案外活発に行われていることをほとんどの人たちは知りません。
彼らに言わせれば、自分たちの行為には「確信」があるからそれだけ強くなれるからだそうです。相手が本職の僧侶や牧師だろうと、あるいは実業界で長年の実績を積んで経験豊富な経営者だろうと、あるいは大学教授や専門的研究に携わっている研究者だろうと、悉く論破できるほどの「確信」があるからだそうで、そこまでの「確信」が持てるほど勉強も訓練も実践も行ってきたということを延々と喋ってみせたりします。
しかし、ただ相手の言うことを封じ込め、議論に勝った、相手は反論もできなかったといくら自画自賛しても、最初からその議論は、自分たちの論理こそこの世で唯一正しく最高なものという結論ありきの話なので、相手はそのようなあまりに低レベルの議論に辟易してまともな論戦を交えるような人間ではないと思っただけです。
そんな人物をいくら相手にしても不毛な話でしかなく、時間の無駄と思っただけですが、彼らはそれをもって議論に勝ったと凱歌をあげるような精神状態に過ぎません。
ただ、狂信的ともいえるこのような人が多ければ多いほど、ある意味で組織を支える屋台骨は太く頑丈になるわけで、多少の逆風が吹くくらいは、彼らの闘争心を掻きたてる恰好の材料でもあると同時に、そのときこそ自分たちの力を信者全員に見せつける絶好のチャンスにもなると思っているのです。
組織の強さを計る基準は、それを支える人の数の多さとその資金力と云われますが、実際にはそうした数字の上での評価以外に、こうしたある種の狂信的な発想から生まれるカリスマ的な資質を備えたリーダーの多さが組織の原動力になっていくのでしょう。
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